周知という悪魔

2004年12月30日
●周知という悪魔
電車男という作品があります。
インターネットの2ちゃんねるという掲示板郡から発生した
感動的な恋の物語を、一般的に売り出したものです。
僕も、この電車男の話は作品が出てくる前に知っていて、
自分自身なかなか感動させられました。
この作品で多くの人が感動し、涙を流したのは事実であるし、
受容者が何を感じても、全て素晴らしいことです。
 
が、僕は、この作品の作者――電車男本人ではなく――が、
いっぱしの「創作者」として、決してしてはならない
許すべからざる行為をしたように感じてなりません。
 
そもそも創作というものは、自分の中にある伝えたいものを、
自分の体験や、他の事実、または架空の世界の中で、
音や言葉、映像などを通して表現するものです。
しかしこの「電車男」の物語はそれとはまるで違い、
言うなれば「匿名者の恋を全国的に無断で晒し上げる」物です。
この作品がいかに多くの人を感動させたとしても、
それはこの電車男の物語としての秀逸性であって、
これ自体は創作、いや作品ですらないといえるでしょう。
 
これがいかに有名になっても、いや、有名になればなるほど、
電車男は恋人には秘密の「恋の実況」が知られてしまう
可能性の高さに怯えなくてはなりません。
彼自身にとって、この物語が売れてゆくことについて、
受容者たちの感動とその感想について、
そしてこれを一般的に売り出そうと提案した者へ、
全ての心持ちは僕にはまるで想像できないものです。
 
確かにこれは明らかに楽しめないのは本人のみで、
それを上回る数多くの人々を感動させています。
だったら1人くらいいいじゃないかと考えがちですが、
それは、僕には、これが、まるで、
村の人々の命を救うために1人の命を差し出す、
「生贄」に見えて仕方ないのです。
 
 
自分の伝えたいものを表現する以上、
共感できる人、共感できない人がいるのは当然で、
また表現者側の技術力等々の不足によって、
「つまらない」という不快を感じる人は少なからずいます。
が、それは正当な「不愉快」という感動であって、
電車男本人が受けるそれとは異質のものであります。
 
上でこれは創作ではないと言いましたが、ではこれは何か。
これは商品です。売れる物語だから、売って、売れた。
企画者としてはそれで大満足であります。
が、僕はこれがクリエイターとして不愉快です。
売れれば何をしても言いという考え方、
今の世の中結構よくあることですが、
これはその極端な例であるといえます。
 
物を作っていると、こういうのがウケがいいだとか、
そういうことを考えてしまいがちですが、
これは売れりゃよし主義に通じるものがあります。
いっぱしのクリエイターとして、
伝えたいものを伝えていくよう気をつけたいと思います。
 
※と、だーだーと書いてみましたが、
実は本も映画も触れたことがなく、
電車男本人が匿名を守りきっている前提で書いてしまったので、
もし本人が許可をとっていた場合はえーとなんだその
この文はほとんどの段落を消さざるをえません。

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